「女殺油地獄」は、有名な劇作家・近松門左衛門の作品です。享保六年(1721)の七月に、当初は人形浄瑠璃で上演されました。歌舞伎に脚色されたのは、それからだいぶ後で、明治四十二年(1909)の十一月のことです。
主人公の与兵衛は、大坂・天満(てんま)の油屋の次男ですが、店の屋号は河内屋(かわちや)といいます。この作品が歌舞伎化されたとき、与兵衛を演じたのは、上方歌舞伎の人気役者・二代目實川延若(じつかわえんじゃく)でした。彼の屋号もやはり、河内屋。河内屋の芝居に「河内屋!」と掛け声がさかんに飛んで盛り上がっていたんですね。なんかいいなぁ・・・。
先代が亡くなって、のこされた長男は、実家からよそへ出て自分の店を構えたので、次男の与兵衛は、本来は廻ってくるはずのなかった「河内屋のあととり」という立場なのですが・・・日頃の言動が、すっかりグレて、すさんでいます。遊女とのたわむれにうつつを抜かしたり、乱暴さわぎを起こしたり、金を使いまくったり、始末におえません。
なぜそうなってしまったのか・・・与兵衛の母親がその原因を招いています。夫(すなわち与兵衛の父)の死後、彼女は、店の番頭・徳兵衛を新たな夫にして、店の主人にもすえました。経営状況やそろばん勘定をしっかりと管理してきた番頭さんですから、河内屋の商売をきちんと続けていく、という点では、たしかにこれは「正しい再婚」でしょう。
でも、少年~青年の時期のナイーブな若者・与兵衛から見たとき、母のこの選択・決断は、どんな思いを彼に抱かせたか・・・これはなかなかデリケートな問題ですよね。芝居を見ているかぎり、母親が徳兵衛を「男としてどう見ていたか」は、はっきりとは描かれていないのですが・・・すごく想像がふくらむ。おそらく与兵衛もそんなふうに、あることないこといろいろと、邪推をめぐらさずにはいられなかった、と思うのです。
ただれた心持ちで粗暴な言動をくりかえす与兵衛を、「血のつながらない父親」徳兵衛は、きびしくたしなめることが出来ません。だって、もともとが、仕えているお店のお坊ちゃんなのですから。初期設定からして腰が引けているわけです、「息子」に対して。そしてそのことが、ますます与兵衛を、やり場のない孤独感へと追いつめていきます。
そんな与兵衛が、唯一、心を許した相手こそ、同じ町内の同じ商売の豊嶋屋(てしまや)の女房・お吉なのです。子どものころや学生のころ、みなさんにも、何でも話しやすい近所のおじさんやおばさん、おにいさんやおねえさんが、いませんでしたか?与兵衛とお吉は、まさにそういう間柄なんです。
全身油まみれになりながら、与兵衛がお吉を危(あや)めていく、この作品の壮絶なラストシーンを、二人の関係性に思いをはせながら見ていただきたい。さまざまなモヤモヤを抱えまくった与兵衛が、いちばん素直に自分をさらけ出せる、いちばん本来の純情さを引き出してもらえる相手。それがお吉だったはずなのに、なぜこんな悲しい結末が訪れてしまうのか・・・
じっくりと味わっていただきたい、リアルさにあふれた物語です。