筆者は1990年代後半から途中ブランクを挟んで都合18年ほどイラストの専門誌の編集に携わったが、失礼ながら杉山新一氏のことは寡聞にして存じ上げなかった。杉山氏は昨年の1月末に逝去されたが、娘さんが亡くなった父の画業を世の人に知って欲しいとTwitter上で「オンライン展覧会」を始めて、それが目に留まり、たちまちその作品に引き込まれた。
一連のツィートは10万を超える「いいね」が集まるほど大きな反響があり、Twitterの反響に後押しされる形でその年の夏に千葉県松戸市のギャラリーで展覧会が開かれた。出版の企画につなげられないかとの思いがあり(残念ながら実を結ばなかったが)、筆者も足を運んだ。作品点数は少なめではあったが、丹念に描かれた原画の魅力を堪能することができた。
ギャラリーのオーナーがご遺族に連絡を取ってくださり、展示された以外の原画を見る機会をいただけることになった。まだ残暑が残る9月、杉山氏の仕事場兼ご自宅を訪ねた。まだ整理中とのことだったが、娘さんからご説明をいただきながら作品や印刷物などを拝見した。残されていた原画は100点あまりと、それほど多くはない。聞けば、生前から少しずつ断捨離を進めていて、特に気に入った作品だけを残しあとは処分していたのだとか。
杉山氏が手がけたジャンルはそれこそ何でもアリで、おそらく受けられる仕事はなんでも受けていたと思われる。SFイラストや、未来の乗り物や科学技術を描いたイラストに強く目を引かれた。軍艦や戦闘機も描いていて、乗り物イラストや機械を描くメカニカルイラストが最も好きで得意だったようだ。特に機械の内部構造を描くのが得意で、科学雑誌などで宇宙船の説明図を描いたものが多くあり、未来の乗り物のイラストでも、機体の一部が欠き取られて内部が見えるようになっているものがあった。
個人的に最も惹かれたのは「空想科学」の作品群。近年は「レトロフューチャー」とも呼ばれるが、これを見ると杉山氏が小松崎茂の影響を強く受けていたことは容易に想像できる。小松崎氏には直接師事したわけではないが、知己を得て教えを乞うたことがあったそうだ。科学の発展と人類の幸せがイコールと考えられていた頃の「夢ある未来予想図」は、今見ると設定やデザインなどに荒唐無稽な要素もあるが、そこに時代性が感じられて微笑ましくもある。
生き物や恐竜などの絶滅生物を描いた作品も多かった。原画があまり残っていないのが残念だが、UFOや宇宙人、UMA、幽霊や吸血鬼といったオカルトやホラーの仕事も多いようだ。こちらはあえて粗めのタッチで描かれ、おどろおどろしい雰囲気が満点だ。人物画は時代物から現代小説の挿絵、小説の装画と思われるものまで、タッチも水彩画からペンや筆による線画まで実に多彩だ。
未来予想図もそうだが、考古学や絶滅生物、宇宙工学といったジャンルは実際に見ることのできる資料はほとんどない。わずかな資料と科学的知見をもとに想像を膨らませて描かなければならないが、細密なタッチで描かれた杉山氏の作品は迫力と説得力があった。前出の小松崎茂氏に生前取材した際に、「イラストレーターにはサイエンスが必要です」と力説されていたことを思い出す。想像で描かなければならないのはオカルト・ホラーも同じ。杉山氏にそうした仕事が多いのは、乏しい資料からイメージを膨らませて描く能力に長けていたからだと想像できる。
娘さんのツィートによれば、杉山氏は「ずっと無名のままだった」とのことだが、イラストレーターには自身の個性や作家性を前面に押し出すタイプがいる一方で、あえて個性を出すことを控え職人的に仕事をこなす人がいる。杉山氏は後者のタイプだろう。依頼が来るのは描きたいモチーフやテーマばかりではなかっただろうが、画材や技法を自在に使い分けながら、確かな技術力で注文に応えてきた。そうして家族を養い、晩年近くまで現役を続けた杉山氏の活動は、地味だったのかもしれないが充実していたのではないだろうか。その作品がインターネットによって脚光を浴び、展覧会で多くの人に原画を見てもらう日が来ることをご本人は想像しただろうか。
1970〜80年代にエアブラシを使ったスーパーリアルイラストが流行したが、杉山氏の原画を見ると、筆による細密描写を活かすためエアブラシの使用は必要最小限に留められている印象を受ける。筆の痕跡があることで、絵としての強さや温かみがより感じられることと思う。その筆跡から、その実直な仕事ぶりを感じ取っていただきたい。